戦争犯罪の一つとしての「慰安婦」問題

 
 

  慰安婦、慰安所とは、そもそも何か

 

「慰安婦」とは、日本軍および関連当局が作り上げた性奴隷であり、もともと娼妓などであったもの以外は、多くが強制もしくは騙しによって連れてこられ、軍または軍関連事業者等が業者に設置させた「慰安所」において春をひさぐ行為をさせたものである。慰安婦は、元来日本人の娼妓出身者が多数を占めていたが、戦時中になって徴兵、徴用の数が増えると、軍の要請によって、大量の慰安婦が必要とされ、日本人だけではまかないきれず、朝鮮半島からも「女子挺身隊」などの名目で無辜の娘たちが集められ、「御国のために」売春が強制された。また、中国各地、フィリピン、インドネシアなどでも、現地の婦女子を強制的に連行し、慰安婦に強制的に仕立て上げるという滅茶苦茶な事案があり、実際に強制連行した兵士の証言などもある。

 

(以下、2000年12月に行なわれた「女性国際戦犯法廷」より元陸軍伍長・金子安次氏の証言)

検事  それ以後、中国山東省などを転戦されて終戦を迎えられたのですね。

金子  はい。

検事  あなたの軍隊における最後の地位は何でしたか。

金子  伍長です。

検事  それでは、これからあなたが中国大陸で体験されたことについてうかがいます。あなたが軍隊に所属されていた間に、自分で体験した「慰安所」というのはどういうものでしたか。

金子  私は、昭和17年に山東省の東昌というところにいました。その時に中隊の命令で、巡回慰安婦の移動を警備をしろという命令を受けました。そして機関銃中隊から少尉以下9名、機関銃を持って大隊本部にまいりました。その時にすでに小銃隊が15名ほどおりまして、2台のトラックに乗りました。私たちが2番目のトラックに乗ったときに、そこには絣の着物を着た従軍「慰安婦」の方が3人おりました。しかしながら、敵地区をまわるので八路軍に襲撃される恐れがあるからまずいということで、携帯用の外套を上から着せました。そして軍帽をかぶせました。その車中の中で、古い兵隊が「おれはおまえたちのために警備して送るんだが、もしも途中で八路軍に敵襲を受けて戦死したらこんなに恥ずかしい話はないよ」と「慰安婦」の人に言ったんです。そうすると「慰安婦」の一人の方が「だったらやめたらいいでしょう」、こういいました。「馬鹿野郎。おれは勝手に来てるんじゃないんだ。命令で来ているんだ。そんな勝手なことができるか」。そうすると、「慰安婦」の方が、「あたしだって何も好きこのんでこんな危ないところに来ませんよ。軍隊の偉い人のお陰でここに来ているんですよ」と言いました。

検事  今のは、あなたが軍隊に入って「慰安婦」の輸送にかかわったときの出来事ですね。それでは、次にあなた自身が「慰安所」に行くようになったときの体験をお話し下さい。

金子  私が一番最初に「慰安所」に入ったのは、昭和18年のことでした。それは、臨清県というところにいたときです。当時私たちは「慰安所」とは呼びませんでした。「ピー屋」と呼んでいたんです。そこにまいりました。女の方が4人いました。すべて朝鮮人の方だという話でした。女の方が「いらっしゃい」といいました。ところが日本語がたいへんうまいのです。「おまえ朝鮮人か」、私は聞きました。「違うわよ。私は日本人よ」。「なに日本人? 大和撫子がこんなところにいるなんて、日本人の恥さらしだ」。そういうようなことで、そこで口論になりました。そして払いましたお金をふいにしてしまったんです。このようないきさつがありました。その時に彼女はこういいました。「兵隊さん、私は好きこのんでこんなところにいるんじゃないですよ。私の夫は上海事変で戦死しました。ふたりの子どもと母親をかかえて、どうやって生きていけばいいんですか」。彼女はこういったんです。私は二の句も告げずに立ち去りました。こういういきさつがありました。

検事  あなたが見た「慰安所」というのは、女性たちは自分たちの意志できていた人たちですか。

金子  違います。日本には公娼制度というのがあり、それは営業であり金儲けです。しかし、そこで働いている人は、みんな苦しいから働いているんです。金で縛られているから自由に行動できない。そこに「慰安婦」の「慰安婦」らしいところがあるんです。

検事  自由がないということですね。
 こうした「慰安所」があることは、強姦の防止に役立ったと思いますか。

金子  役立っていません。

 

文中にある、日本人慰安婦の言葉は、非常に考えさせられるものがある。安部晋三などは、こうした言葉や兵の証言を無視して、慰安婦を誰も強制的に連れてこない、軍の強制は一切なく、日本政府は一切責任を持たないと言ってきたが、それがまったくの欺瞞であることは明らかである。

およそ、慰安所で生活に苦しんでいる女性を金で縛り、逃げられないようにしておいて、醜業をさせることは、非人道的であり、こんなことを肯定・容認する輩は、人間のクズである。

 

なお、軍や関係する内務省などは、慰安婦を本当の女子挺身隊と区別するために、「特殊女子挺身隊」や「特殊看護婦」などと呼んでいた。また、日本人でもともと娼妓などであったものを、中国大陸駐留の部隊用に慰安婦として送り込む場合については、「支那渡航婦女」と呼んだりした。

 

内務省の『支那渡航婦女の件』という文書では、

「本日南支派遣軍古荘部隊参謀陸軍航空兵少佐久門有文及陸軍省徴募課長ヨリ南支派遣軍ノ慰安所設置ノ為必要ニ付醜業ヲ目的トスル婦女約四百名ヲ渡航セシムル様配意アリタシトノ申出アリタルニ付テハ、本年二月二十三日内務省発警第五号通牒ノ趣旨ニ依リ之ヲ取扱フコトトシ、左記ヲ各地方主ニ通牒シ密ニ適当ナル引率者ヲ選定之ヲシテ婦女ヲ募集セシメ現地ニ向ハシムル様取計相成可然哉 追テ既ニ台湾総督府ノ手ヲ通ジ同地ヨリ約三百名渡航ノ手配済ノ趣ニ有之 」

 (国立公文書館 アジア歴史資料センター

 件名標題(日本語):支那渡航婦女に関する件

 階層 :国立公文書館>内務省>内務省警保局>その他>内務大臣決裁書類・昭和13年(下)

 レファレンスコード :A05032044800

 資料作成年月日 :昭和13年11月4日 )

とある。明らかに陸軍が要請して、慰安婦をその部隊がある中国南部に台湾を経由するなどして送り込んでいた実態が分かる。 

 

慰安所は、海外にも設置されたが、内地部隊用にも設置され、軍需工場などにもあったらしい。

 

小生の身近なところでは、奈良県天理市にもあったというが、小生のいた奈良の海軍航空隊のためのものではなく、柳本飛行場(大和海軍航空隊)用だったそうだ。外出時には倶楽部で出された牡丹餅でも食う方が楽しみだった小生は、行ったことがない。

 

千葉県でも、木更津や銚子などにあったことが分かっている。木更津・六軒町の慰安所は、木更津の海軍航空隊および航空廠のためのもの。あまり知られていないが、流山や柏にもあったらしいが、陸軍糧秣廠、柏飛行場関連のものだろうか。

 

思えば、慰安婦問題は、軍当局によって証拠隠滅されており、インドネシアで起きたオランダ人女性の強制連行および慰安婦化事案、いわゆるスマラン事件以外については事実関係がよくわからないものが多い。スマラン事件を起こした南方軍第十六軍幹部候補生隊の馬鹿者どもは、死刑になったものも含め、処罰されたのだが、それ以外の事件については犯罪として処罰されていない。

それどころか、慰安婦を強制連行した軍人・軍属、慰安婦の施設を作った軍人・軍属(主に軍の主計科)、さらに夥しい数の非戦闘員に対する虐待、性的暴行を働いた軍人・軍属については、軍当局が目こぼしして軍法会議にもかけられず、戦後のドサクサにまぎれて逃げおおせ、多くは刑に服することなく死んでしまっている。

 

 

<慰安婦募集に関する軍の通達>

 

 (写真は「軍慰安所従業婦等募集に関する件」という慰安婦募集に関する日本軍の文書:1938年3月4日付け陸軍省兵務局兵務課起案(梅津陸軍次官押印)による、北支・中支軍参謀長宛の副官通達案)

 

国立公文書館 アジア歴史資料センター

件名標題(日本語):軍慰安所従業婦等募集に関する件

階層 :防衛省防衛研究所>陸軍省大日記>陸支機密・密・普大日記>陸支密大日記>陸支密大日記>昭和13年>昭和13年 「陸支密大日記 第10号」

レファレンスコード :C04120263400

作成者名称 :兵務課

資料作成年月日 :昭和13年3月4日


 2007年7月30日の米下院本会議の慰安婦に関する決議

 

米下院本会議で、例の日本の国会議員らの非見識極まりない意見広告が「きいた」せいか、実にすんなり「慰安婦決議」が通った。

 

元々こんなことは、他国に言われずとも、日本の中できっちり始末しておけばよかったのである。日本政府は、怠慢にも、それを責任の所在をあいまいにし、ずっと放置してきたのである。いまだに超A級戦犯である天皇の戦争責任すら明らかにできない日本政府とその与党自民党、さらにその裏側に戦前から連綿として続く反動勢力一流の無責任体質は、断固として糾弾されねばならない。例えば、インパール作戦で全滅の危機に直面して独断撤退した佐藤幸徳中将(三十一師団長)は、「大本営・総軍(南方軍)・方面軍・第十五軍という馬鹿の四乗がインパールの悲劇を招来したのである」と軍上層部を批判した。しかし、杉山元帥も寺内元帥も誰もインパールの責任をとらず、多くの将兵が飢えとマラリアに苦しんで苦闘を続け、アラカン山系の山奥で死んでいった。

そして、彼ら軍上層部、反動勢力に騙され、侵略戦争に動員されてきたわれわれは、それら勢力を徹底的に粉砕せねばならない。それが、われわれの"historical responsibility"というものである。

 

米下院本会議 慰安婦決議の日本語訳全文は、以下のとおりである。

 

***

以下、日本語訳全文。

「日本政府は1930年代から第2次世界大戦期間に、『慰安婦』と呼ばれる若い女性を日本軍に性的サービスを提供する目的で動員することを公式に委任した。日本政府による強制の軍隊売春制度『慰安婦』は、集団の性的暴行や強制流産、辱め、身体の切断や死亡、究極的に自殺を招いた性的暴行など、残虐性と規模で前例のない20世紀最大規模の人身売買のひとつだ。

 

 日本の学校で使われている新しい教科書は、慰安婦の悲劇や太平洋戦争中の日本の戦争犯罪を縮小しようとしている。

 

 日本の公共・民間の関係者は、慰安婦の苦しみに対する政府の真剣な謝罪を盛り込んだ1993年の河野洋平官房長官の慰安婦関連談話を希釈したり撤回しようとする意図を示している。

 

 日本政府は、1921年に女性と児童の人身売買を禁止する条約に署名し、2000年には武力紛争が女性に及ぼす影響に関する国連安全保障理事会決議1325号も支持している。

 

 下院は、人間の安全と人権、民主的価値、法律の統治や安保理決議1325号への支持など、日本の努力を称賛する。

 

 日米同盟はアジア太平洋地域での米国の安保利益の礎で、地域安定と繁栄の根本だ。

 

 冷戦以降、戦略的な環境の変化にかかわらず、日米同盟はアジア太平洋地域で政治・経済的な自由と人権、民主的制度に対する支持、両国国民と国際社会の繁栄確保などを含む共同の核心利益と価値に基盤を置いている。

 

 下院は、日本の官僚や民間人の努力で1995年に民間レベルのアジア女性基金が設立されたことを称賛する。アジア女性基金には570万ドルが集まり、日本人の贖罪を慰安婦らに伝えた後、2007年3月31日付で活動を終了した。以下は米下院の共同意見。

 

1.日本政府は1930年代から第2次世界大戦終戦に至るまでアジア諸国と太平洋諸島を植民地化したり戦時占領する過程で、日本軍が強制的に若い女性を『慰安婦』と呼ばれる性の奴隷にした事実を、明確な態度で公式に認めて謝罪し、歴史的な責任を負わなければならない。

 

2.日本の首相が公式声明を通じ謝罪すれば、これまで発表した声明の真実性と水準に対し繰り返されている疑惑を解消するのに役立つだろう。

 

3.日本政府は、日本軍が慰安婦を性の奴隷として人身売買を行った事実は決してないとする主張に対して、明確に、公開的に反論しなければならない。

 

4.日本政府は、国際社会が提示した慰安婦に関する勧告に従い、現世代と未来世代を対象に残酷な犯罪について教育を行わなければならない。」  

 

<慰安婦募集に関する軍の通達>

 

 (写真は「軍慰安所従業婦等募集に関する件」という慰安婦募集に関する日本軍の文書:1938年3月4日付け陸軍省兵務局兵務課起案(梅津陸軍次官押印)による、北支・中支軍参謀長宛の副官通達案)

 

 慰安婦の大半は日本人だったのに、補償を拒む政府
 

言うまでもなく、慰安婦の大半は、日本人である。日本人の慰安婦が調達しにくくなった戦時中には、朝鮮人も慰安婦とされるようになり、少数ながら台湾人、中国人などの慰安婦もいたが、日本人も含め騙しや強制によって慰安婦とされた者も多い。

 

去る2007年7月30日、米議会下院は日本軍の慰安婦問題についての決議を異議なく採択した。これは、米国にいるロビーストを通じた、日本政府の工作にも関わらず、圧倒的な支持を受けて採択されたものである。この決議は「日本軍が性奴隷制を強制したことについて、明確かつ曖昧さのない形で歴史的責任を正式に認め、謝罪し、受け入れるべきである」との意思を表明している。

 

今まで、政府は慰安婦は軍の強制ではなく、「自主的に」慰安婦となったといわんばかりに、虚言を弄してきた。あまつさえ安部晋三のごときは、元慰安婦の女性に対して人権無視の暴言を吐き、そのあまりの女性蔑視、民族蔑視のアナクロニズムについては、頭がおかしいのではないかと思ったが、実際その通りで、総理大臣を退任した。

 

ともかく、日本人慰安婦のなかには、軍属であったものがいたことは周知の通りである。それは、慰安婦でありながら、何らかの事情で弾薬運びなど戦闘に加わったり、軍の病院などに勤務したものなどで、軍属慰安婦は少数であったと思われてきた。

実際に、日本人の女性で慰安婦であったことを公言する者は殆どなく、戦後国会で取り上げられたり、「春婦伝」「暁の脱走」といった映画などになったりはしたが、元慰安婦自身がマスコミ等の表舞台に出ることは憚られ、わずかに芸妓出身の慰安婦の証言が出版された程度である。日本人慰安婦はその数が多かったにも関わらず、実態が分からない面が多い。慰安婦でなくても、生活苦から夜の女になる人は終戦直後には多かった。彼らは通常、足を洗って家庭に入るか、普通の職業婦人になる人も少なくなかった。そのため、以前は元慰安婦など珍しくもなく、誰々は元慰安婦らしいという、情報はみな知っていた筈であるが、今では、日本人慰安婦はいなかったと本気で思っている無知な若者までいる。彼らのお婆さんが、元慰安婦であったかもしれないのにである。

 

慰安所は外地だけでなく、内地の軍施設のそばには多かった。もっとも、台湾には新竹にあったきりだったようだ。最近では、民間の軍需工場にも、慰安所があったことが明らかになっている。つまり、軍と同様に、民間会社も慰安所を抱えていたのである。

 

 

<慰安婦たち(海防(ハイファン)にあった慰安所の女)>

 

 

慰安婦に関する軍の関与については、今までもいろいろな軍関係者の証言があり、物的証拠としては軍自体の文書が少数ながら発見されている。今回、イギリス公文書のなかから、敗戦直後、旧海軍が日本人慰安婦を、軍病院の補助的な看護婦として雇用するよう命じた通達が、つい最近発見された。それは、連合国側が暗号解読して作成したイギリス公文書である。発見したのは、関東学院大の林博史教授である。林博史教授については、沖縄でのいわゆる集団自決についても、有意義な論述を行っておられ、小生も以前から注目していた。この発見は大きい。

なお、この場合、軍というのは、陸軍ではなく、残念ながらわが海軍である。しかし、陸海軍を問わず、また烈々たるその武勇にもかかわらず、日本の軍隊は数々の戦争責任を負っているのも事実で、元海軍軍人としては忸怩たる思いであるが、仕方がない。

 

林教授たち研究者は、慰安婦が看護婦に雇用された際の身分が軍属だった可能性が高いとみている。前から、慰安婦を看護婦にしたという元軍人らの証言はあった。今回発見された文書により、日本人慰安婦を敗戦時に軍属雇用するという配慮から、軍が戦時中に慰安婦管理に事実上深くかかわっていたとする見方を補強する貴重な史料としている。さらに、戦後慰安婦を看護婦としたことは、自分たちの責任を回避し、占領軍からの追求を逃れようと姑息な手段を使ったと考えられる。

 

これについて、琉球新報は「従軍慰安婦 恥ずべき旧軍の事実隠ぺい」と社説で述べている(2008.6.21)。

 

「またも旧日本軍の犯罪の一端が明らかになった。戦後補償の焦点ともなっている従軍慰安婦問題で、旧軍が敗戦直後に、日本人慰安婦を看護婦に雇用するよう通達していた。

 従軍慰安婦問題を隠ぺいする姑息(こそく)な工作である。一事が万事。この際、国には慰安婦問題に関する旧軍犯罪の徹底調査を求めたい。

 従軍慰安婦問題では、第2次大戦中、戦地の慰安所で日本軍に性的被害を受けた朝鮮半島や中国などの女性たちが、日本政府に謝罪や賠償を求め続けている。

 政府は1993年に官房長官談話の形で『おわびと反省』を表明し、95年には『女性のためのアジア平和国民基金』(アジア女性基金)を発足させている。

 しかし、民間募金を『償い金』とする方法に、元慰安婦らは反発している。民間募金では、日本政府の正式な謝罪と受け取れないというのが理由だ。

 加えて、1人当たり200万円という補償額を受け取るために、従軍慰安婦として名乗り出る社会的デメリットもある。実際、償い金を受け取った元慰安婦は90人余にとどまったまま、事業は2002年に終了している。

 実態解明も不十分なまま、口先だけの謝罪では、性的奴隷とされた元慰安婦たちの傷は癒やされない。だからこそ元慰安婦たちは現在に至るまで日本政府に対する公式謝罪と損害賠償請求を繰り返し提訴している。

 これに対し最高裁は2007年、『日中共同声明で個人の賠償請求権は放棄された』との判断を示し、慰安婦の請求権を否定している。

 従軍慰安婦問題では、政府の謝罪や補償の根拠となる当局の関与の度合いが常に問題になってきた。

 今回見つかった英公文書で、旧軍が日本人慰安婦を軍病院の補助的な看護婦として雇用するよう命じた通達電文(1945年8月18日)の存在が明らかになった。

 軍が戦中に慰安婦管理に事実上深くかかわっていたとする見方を補強する貴重な資料とされる。

 しかも、内容から旧軍が慰安婦の存在を連合国側から隠ぺいしようとした可能性も指摘されている。

 通達電文は『完全に理解した後、焼却』との指示も明示している。

 『慰安婦隠し』で、犯罪を隠ぺいする重犯行為ともいえる。

 戦後60年余を過ぎてなお慰安婦問題で謝罪も賠償も不十分な日本政府に国連人権委員会や欧米議会から非難決議が続いている。

 旧軍による慰安所建設や慰安所規則、利用日指定、性病検査の実施の事実は、すでに判明している。

政府がすべきは旧軍の犯罪隠ぺいをほう助し、責任逃れをすることではない。国民が求めているのは旧軍犯罪の徹底調査と告発であり、被害者への謝罪と補償である。」

 

金が惜しいのか、昔の罪で人に謝るのが嫌なのか、これまでの日本政府の態度は大人気ないというか、先進国の一角を標榜する国の態度だろうかと疑問に思うことばかりである。

 

この辺で、方針を変えない限り、アジアはもちろん欧米からも相手にされなくなるだろう。実際、昨今ではアメリカはアジアの問題は日本ではなしに、中国とばかり交渉しているようであり、国連での日本の発言力も大きくなっていない。逆に、日本抜きでの話が多くなっているようである。こういう現実を日本政府は、どう考えているのか。

 

<軍慰安所の風景>

 

 

 

 EUでも行われた決議

 

 福田康夫前総理大臣は、かつて年金問題の公約など知らないと言っていた。あとを継いだ麻生太郎総理大臣も、その場その場で発言を変えて逃げているが、年金問題の解決時期については明言することなく、さしたる前進のないままである。舛添厚生労働大臣は、社保庁の杜撰な管理が原因である年金不払い問題について、名寄せなど完全には出来ないと開き直っている。薬害C型肝炎の問題もしかり。政権を預かる人たちの言葉として聞くに堪えない、無責任ぶりではないか。

彼らは、国民の犠牲などまった痛痒なく、官僚の特権意識を変えることもしない。

慰安婦問題でも、政府は一向に明確に謝罪するでもなく、わずかばかりの生き残りの元慰安婦の女性にも、補償金が惜しいのか、補償は一切なしの、「すまなかった」の一言もない。安部晋三にいたっては、「慰安婦の強制連行も軍の関与などなかった」と、ジャングルの奥地まで慰安婦やP屋のオヤジが勝手に歩いていったかのごとき、笑止千万なことを言い放ち、ついに総理大臣を突如やめるにいたった。今でも議員を続けているが、次回の総選挙で当選がおぼつかないとかで、アッキー夫人が奔走しているそうだ。

慰安婦問題では、アメリカ、オランダ、カナダに続いて、EUまで対日謝罪決議をおこなった。

共同通信によれば、

「欧州議会が慰安婦決議 欧州議会が慰安婦決議 日本政府に公式謝罪要求

【ブリュッセル13日共同】第2次大戦中の旧日本軍の従軍慰安婦問題をめぐり、欧州連合(EU)の欧州議会(フランス・ストラスブール)本会議は13日午後(日本時間同日深夜)、日本政府に公式謝罪などを求める決議案を一部修正して賛成多数で採択した。同種の決議は7月に米下院、11月にオランダ、カナダ両国の下院で採択されている。

 立法権がなく、EUの『諮問機関』と位置付けられる欧州議会の決議に法的拘束力はないが、加盟27カ国、計約4億9000万人の「民意」を表明する役割がある。採択は、慰安婦問題への対応をめぐる日本政府への不信感が国際社会で拡大していることをあらためて裏付けた。

 最大会派の欧州人民民主党、第2会派の欧州社会党など計5会派の代表が名を連ねた決議案は『過去の日本政府が慰安婦徴用に関与した』として、人権保障条約や国連決議に違反した『20世紀最大の人身売買の1つ』と非難した。」

ということである。以下に、その詳しい内容を記載してある。

「『慰安婦』(アジアにおける第二次世界大戦の戦前・戦中の性奴隷)の扱いに公正を期すための2007年12月13日の欧州議会決議」をめぐって

 

EU決議は、かなり辛辣で、慰安婦の問題が単なる国際的な行き違いのようなことでなく、日本の人権問題であることを、われわれ日本人は深く認識すべきである。

 

<陸軍軍人と中国服の女性(慰安婦か否かは不明)>

 

 

 ある日本人軍属慰安婦の戦後

 

もちろん、慰安婦には日本人慰安婦が多いのであるが、いつのまにか朝鮮人慰安婦やオランダ人で強制的に慰安婦にされた女性の話ばかりされ、あたかも国際問題の側面しかないようにいわれ勝ちである。

日本人慰安婦もおり、そもそも慰安婦は日本の軍隊が産んだ歴史上の負の遺産である以上、これは本来国内問題である。元日本人慰安婦は芸者や娼妓出身者が多かったが、東北あたりから騙されて連れてこられた素人女性も大勢いた。軍部は自分が根源であるのに、写真のごとき通達をだし、P屋にあまり強引な手を使って慰安婦を集めるな(逆に言えば、もっと巧妙に集めろ)と言っている。日本人慰安婦の多くは、戦後日本で結婚し、家庭にはいるなどして、慰安婦であった経歴を身内にまで隠している場合が多い。そして、女性も含めて、こうした問題に余りにも無知、鈍感な国民が多すぎ、日本人慰安婦は名乗りだすのもはばかれ、口を閉ざしたまま、高齢となり死んでしまった人が多い。

 

「知られざる証言者たち」(新人物往来社)という本に「菊丸」という源氏名で、トラック島にいた元慰安婦の日本人女性の証言が載っていた。日本人慰安婦の証言は、取り上げられること自体珍しく、最近ではほとんど活字にもなっていない。しかし、戦後間もなくの頃は、BGや女子工員でも親を養うためなど、やむにやまれぬ事情から売春している女性は多かったし、慰安婦だったらしい玄人女性など珍

しくもなかった。そうした人も多くは、足を洗い、普通に結婚して家庭に入った人が多い。元慰安婦という存在自体、戦後社会では「恥」であり、ありうべからざるものであったために、「恥」を忍んで証言する人は少なく、少なくとも家庭に入った人では皆無だろう。

 

その菊丸さんは、1942年(昭和17年)に19歳で御国のために芸者から志願して慰安婦になったという人で、将校専属の慰安婦。そして、菊丸さん自身が海軍軍属だったのだから、慰安婦では恵まれた部類である。「菊丸が急遽来た」という伝令に接し、慰安婦の菊丸さんが来たと思った軍司令官武田盛治海軍中将が、襟を正して身繕いしたのを見た伝令兵が「閣下、菊丸とは連絡船の菊丸であります」というと、武田海軍中将が「それを早く言え」と怒鳴ったという笑い話が書いてあった。

 

菊丸さんが百名ほどの女性とともに日本を離れ、船でトラック島へいく際に、横浜から出港した、その同じ船に釜山から乗り込んできた朝鮮人慰安婦たちは志願ではなく、「アイゴ、アイゴ」と泣いていたという。慰安婦でも、菊丸さんのように将校専属で「一日一人」と決まっていた慰安婦とは違い、一般の兵隊相手の慰安婦では、一晩に最多で六十五人もの男を相手にしたことがあったという。

 

しかし、いくら軍属慰安婦で戦時中も生活がある程度保障されていたとはいえ、慰安婦になったおかげで、彼女の戦後は狂ってしまった。浮き草稼業を続ける一方、美人ドロとして泥棒の首魁になったのである。特攻を志願した生き残りの飛行兵が、その過酷な体験や価値観が百八十度かわった社会との不適合から、一部転落の人生を歩んだのと似ている。

 

戦後、トラック島でなじみ客だった元海軍士官からは冷たくされたり、情けない思いをしながら、バーやキャバレーなどにつとめて来た菊丸さんのような人は何万といた。

 

こういう人たちのための、聖なる戦いをしなければならない。

 

参考文献:「知られざる証言者たち 兵士の告白」平塚柾緒編 太平洋戦争研究会著 新人物往来社 

(2007年7月)

 

なお、「戦場の芸者」、元・軍属慰安婦菊丸さんは、1972年(昭和47年)4月、忽然とガス自殺を計り他界しています。よって、上記書籍に書かれているのは、彼女がまだ四十歳代であった生前の取材内容を元にした記事であります。

 

  

 参考サイト

慰安婦問題に対する日本政府の施策(平成19年4月 外務省)

日本の現代史と戦争責任についてのホームページ 林 博史(関東学院大学教授)

「慰安婦」問題とアジア女性基金

 

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